La.系ぶろぐ

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「心は量子で語れるか」の読書感想文、あるいは人工知能のあり方について

ブルーバックスのちょい古めの本です。
出版が1999(98)年、原典はもうちょっと前なのかな?(91年よりは後みたい)
中にパラドックス、の言葉があってつい買ってしまったのですが(最近パラドックスブームでw)
それなりに面白かったのですが、でも突っ込まざるを得なかったり。

時代から言って仕方ないのかも知れないけど、なんでこの手の議論では自由意志を量子力学の不確定性に求めるんでしょうね。今ではさすがに懐疑的になってるかも知れないですが。
本編の後半で、人間の意志を数学的か、物理的か、生物学的か、どう解析するべきか……と言った話題が出てくるのですが、
プログラム屋さんに言わせれば、ソフトウェアを解析するのに数学を用いるか、物理学か、機械工学か、あるいは……と言うくらい
ナンセンスです。(まあ、数学的知識は大いに必要かもですが、この場合)
ソフトウェアはもちろん、コンピュータハード上で動きますし、それはシリコンウェハー上の論理回路に支配されています。
でも、ソフトを書く時に、シリコンのPN結合ガー、なんて言ってたら日が暮れる前に宇宙が終わります。
量子力学は、もしかするとこの宇宙の法則全てを書けるかも知れない。
でも、そんなことをしていたら、ハノイの塔がグラハム数回解けてしまいます。
確かにソフトウェアはチューリングマシン(と同等の機械)上じゃないと動かないかも知れない。
だから、それを保証するために論理回路で構成されていることを論じるのは重要かも知れない。
だけど、それはソフトウェアのだいぶ下の階層であり、直接の要因にはならないと思うのです。
恒星の振る舞いを考える時に、その星の上にある原子の振る舞いを普通考えないのと同じように。

この本では、コンピュータのチェスの思考は人間のそれに比べてちゃちなので、人間の思考に及ばない……と言う議論が出てきます。だから、人間の思考は非決定的なのだ、って話になるのですが。
しかし、囲碁でも人間のトップレベルに並びつつある今となっては論じるまでもないと思いますが、ゲームの思考程度なら、「届かないなら届くまで修正すればいい」、要するに人間とコンピュータの能力など、アルキメデス的な差でしかありません。
本が書かれた20年近く前では仕方ない……って事はないでしょうね。少なくとも、ちょっとしたSF作家ならそれくらいの予想はしてるべきな気がします。
もっとも、当時のコンピュータのハードはそれなりに貧弱なので、ディープラーニングとかまじめにやろうとしても、年が明けるといった感じでしょうけど。(ああ、昔はレイトレーシングすると数日がかりとかありましたな)
コンピュータは計算機だから計算する、で誤解してる気がしますが、そもそも、インターネットが爆発的に普及してこっち、一番コンピュータが進化したのは、グーグルさん、要するに検索機能な訳で、コンピュータが身につけた能力、ひいては人間の本質的な学習能力というのは、他から情報を引っ張ってくる能力と言えるかも知れません。
それじゃ、他力本願じゃないかと言われるかも知れませんが、かのガウディだって人間は所詮自然のパクリしかできないみたいなことを言ってましたし。
この辺を踏まえると、人間の自由意志は所詮環境の写し鏡に過ぎないかも知れませんね。(この本でも、環境が現象を決定する……的な指摘があります。押さえてるところは押さえてるな……というか)

コンピュータもこの本が書かれた時代から進化して、ソフトウェアを取り巻く環境もだいぶ変化しました。(個人的にはあまりピンと来てないですがw牛歩的に感じるというか)
昔はコンピュータはアーキテクチャがまちまちで、Cコンパイラも貧弱で、移植性も低く、ハードとソフトは切っても切れない関係でした。
でも、それも……今では、アーキテクチャが淘汰されたのもありますが、PCが高速化され、インタプリタ上でのソフト開発が本格化し、ソフトウェアはハードから切り離されて進化できるようになりました。
これは、ちょうど……人間が感覚器(ハード)から蓄積した情報を元に自我を構成するようなもので、あるいは、素粒子から原子を、原子から分子を、分子から有機化合物を、有機化合物から細胞を、細胞から植物、動物、社会性行動、文化……と、新しい構造を生み出していくプロセスともしかすると相似かも知れません。
だから、同様に産み落とされるディープラーニングや、その先にきっとある人工知能は……きっと霊長類の先にある概念で、だから最近よく言われる「人工知能は人間の驚異になり得るか?」というのもやっぱりナンセンスだと思うのです。
もっとも、それを悲観する必要もなく、いやもしかするともっと強烈に悲観的な考えかも知れないですが、きっと人工知能に脅威を感じた時にはすでに、とっくに手遅れですし、そして数日後には人工知能は彼の生み出した何かに追い越されているでしょうし、次の日にはすでにそれらが(もちろん人類も)過去の物になっているかも知れない。

ま、だから……個人的にはその辺はどうでも良くて、気になるのは……人工知能が果たして人間の思考を習得できるか、よりも彼が幾何学を理解できるか、と彼の理解する物理学が果たしてどんな物になるかだったりします。
そもそも、コンピュータが得る知性というのは、人間の知性と全く同じである必要はなく、人間がそれと区別できない、或いは優劣が付けられないくらいに高等でありさえすればいいのです。
それよりも、そんな人工知能が出来て、人間の学問を修得しようとした時に、まず幾何学の理解が出来るかが心配になってきます。
幾何学って結局、人間の視覚・空間把握能力に頼っているのですが、(これがなければ純粋な集合論から構成される幾何で十分になってしまいますが、そうするとマンハッタン距離に感じる違和感すら無くなってしまいます)それは習得できるのだろうか?(習得する必要を感じるだろうか、と言うべきかも知れないです)
そして、物理学も……人間の与える知識を除くと、彼が自ら確認できる物理現象はかなり限定的になるのではないか……と言うのが懸念であり、興味の対象だったりします。
もっとも、コンピュータには人間の作ったカメラやマニピュレータが接続されていて、それらを駆使すれば空間把握や現実へのアクセスも(間接的な印象をぬぐえないのですが)可能なわけです。
これも杞憂で、彼らはそれらの習得や、間接的な現実空間への干渉方法も体系化して、最終的には人間と同じ、或いはなしえなかった物理現象の解明が出来るようになるのかも知れません。
或いは、その辺に、人間の今解明できない物理の謎に踏み込む手がかりがあるかも知れませんが、結局それを知る頃には、とっくに用済みかも知れませんね。

なんて、ものすごくだらだら駄文を書いてしまいましたが、そんな事をぼんやり考えさせられる程度には面白い本でした。まる。

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